川の岸辺にて
「今夜も雨だな」
しとしとと雨が降り続く窓の外を眺めながら、サイトーは呟いた。
「梅雨だからな」
ソファに座り新聞を読みながら、パズは生返事を返す。
「今夜は年に一度の逢瀬の夜だってのに。晴れた例がねぇ」
サイトーの言葉で今日が何の日だったか、パズはようやく思い出した。
「よく覚えてたな」
「あ?」
「今日が七夕だってことをだ」
「あぁ。トグサがな、娘の書いた短冊に一喜一憂しててな」
「…あぁ、なるほど」
彼らの仕事は殺伐としていて、まるで季節感がない。
唯一の家族持ちである同僚の言動でそれとなく悟る。その程度だ。
「それで?」
「あ?」
「誰か会いたい女でもいるのか? サイトー」
「いねぇよ、そんな女。お前こそいるんじゃねぇのか?」
「いたら、こんな所で新聞なんか読んでねぇ」
「それもそうだ」
広大な川を越えてまで会いたい存在が二人にはない。
かつて、パズに会いたいがために間違った橋を渡り、かの岸へと渡ってしまった女はいたが。
「よく考えてみれば、年に一度会えるか会えないかなんて『遠距離恋愛』なんてもんじゃねぇな」
取り出した煙草に火を点けて、煙をゆったりと吐き出す。
「そんな相手をずっと愛していられるもんかな?」
「会えない時間が愛を育むんじゃねぇのか」
「パズ、本気で言ってるか?」
「いいや」
「あぁ…だが、川の向こうの女を愛し続ける馬鹿もいるな。そういえば」
「………あぁ。川の他にも壁がそびえてそうだな」
「しかも鉄壁のな。川も壁も乗り越えたところで、肝心の織姫様は他の機織娘を侍らして、酒でも飲んでるんだろうぜ」
「違いねぇ」
憐れな同僚を笑いの種にして、二人は肩を揺らす。
「バトーのようにずっと愛していられたとしてだ。滅多に会えない状況を我慢できるものかな?」
「…何だ。今日はやけに感傷的だな」
「神話とはいえ、随分と理不尽な話だなと思ってな。仕事をさぼるのは確かに良くねぇが、そんなに長い間引き離すほどか? 父親とはいえ、天帝の命令は絶対か? 弁明も反抗もせず、ただ状況に流されるだけの男と女が愛を語るのか?」
「…そんなに真面目に考え込むようなことか?」
パズは軽く溜め息をつくと、新聞を折りたたんでテーブルの上に放り出した。
「仕事をサボっていたことが悪いことだと気づけば反省もするだろうし、相手のことが本当に好きなら、どんなことをしても会いに行くだろ。所詮は作り話だ。違うか?」
サイトーの背中を眺めながら、パズは心の片隅で思う。
年に一度会えるか分からない相手を思い続ける。そこまで愛せる存在がいない自分のことを。
こんな家業だ。黙っていたとしても、いつかは相手を傷つける。そう思うと踏み切れない。
そんな優柔不断が一人の女を不幸にした。
サイトーならば。
本気で深く愛したのならば、きっと最後まで守りきる。決して傷つけるようなことはしない。
きちんと牛も追えば、機も織る。
恋や愛だのに現を抜かして任務を忘れるような男ではない。
「サイトー…本当はいるんじゃないのか? 会いにいきたい女が」
「いねぇよ。いたらそっちに行ってる」
そのサイトーがここに、パズのそばにいることを選択している。例え今だけだとしても。
もしサイトーとの間を隔たれたら、それを我慢できるだろうか?
天命に逆らっても会いたいと思うだろうか?
パズは心の中で首を横に振る。
多分、自分はそうしない。その辺の女と夜を渡り歩き、思い出したように時々川の向こうに視線を送る。その程度だろう。
そして、サイトーはサイトーで川の岸辺で紫煙を燻らせ、独り静かに佇んでいるのだろう。
「サイトー」
パズは立ち上がると、サイトーの頬に手を伸ばした。
指先にサイトーの生身の温もりが伝わる。
サイトーは何が何でも会いたいと思うような相手ではないけれど、出会えて良かったと思える相手ではある。
それに幸いにも今は同じ川の岸辺に立ち、手を伸ばせば触れる位置にいる。
「神話の中で泣くだけしかできない女なんか放っておけよ」
「そうだな」
月に数度しかない逢瀬の時間。
その僅かな時間を堪能するため、泣いている空は映像カーテンで遮断した。
Fin
P×S menuへ/
text menuへ/
topへ