私の前に跪いて



 サイトーが地下から上がってくると、草薙が立てた片膝を抱えるようにソファに座っていた。
「あら、サイトー。いいところに来たわね」
 サイトーの気配に気づいた草薙が俯いていた顔を上げる。
 草薙はいつもの服装ではなく、白いイブニングドレスを身にまとっていた。
「…出かけるのか?」
「課長の命令で与党議員が多数出席する秘密のパーティに潜入よ」
 それでこの格好なのかと、サイトーは納得した。
 これから受けるであろうセクハラの数々を憂いているのか、草薙の機嫌は既に良くないようだ。口調に若干の怒気が含まれている。
「先につけ爪をつけてしまって塗りにくいのよ。サイトー、塗ってもらえない?」
 長く赤いつけ爪の指先で摘んで見せられたものに、サイトーはわずかに顔をしかめる。
「マニキュアか?」
「足の爪だからペディキュアよ」
「それを俺が少佐に濡れと?」
「そう」
「ネイル・サロンとかあるだろう?」
「寄ってる時間がないわ」
「オペレーターにやらせればいい」
「半数は赤服がメンテナンス中。残りはダイブ中のイシカワのバックアップ中よ」
「パズは?」
「ボーマと聞き込みに行ってるわ」
「バトー」
「トグサと行確中」
 草薙は悪戯めいた微笑を浮かべた。
「まさか課長やタチコマにやらせろなんて言わないわよね?」
 荒巻はともかく、タチコマなら嬉々としてやりそうだが後が怖い。
「それは命令か?」
 サイトーは最後の抵抗として聞いてみた。
「こんなことで職権を乱用する気はないわ。これは純粋なお願いよ」
「…殊勝だな」
 珍しく、という言葉は飲み込んだ。ここまで妙に素直だと、逆に裏を勘ぐりたくなる。
「そう? あなたがそう感じるなら、お願いを聞いてくれると嬉しいわ」
「…了解」
 結局サイトーは最後までこの女に勝てたことがない。



 草薙の前に跪くのはさすがに嫌だったので、椅子を持ってきて草薙の前に座った。
 サイトーの膝の上に草薙は素足をのせる。
 細く、ボーリングのピンを返したような足だが、そこに秘められた力は想像以上に強烈だ。この足で蹴られたら、サイトーの生身など二つに千切れてしまいかねない。
 手馴れぬ作業に戸惑いながらも、サイトーは小さなボトルのキャップを開けて屈みこんだ。
 サイトーは器用な方ではないが、精密射撃を得意とする狙撃手の性として几帳面だったりする。
 草薙の爪に朱の色を落としていく。
 上手く塗れる角度に固定するため、草薙の足の甲を左手で軽く押さえると、草薙がわずかに身じろぎした。
「………感覚器官は?」
「切ってないわ」
 爪先の感覚をそのまま受け止めているらしい。
「くすぐったくないのか?」
「くすぐったいわよ。もちろん」
「切らないのか?」
「このままでいいわ」
 足の甲に置いた手の力を少し抜いた。
「…気にすることないわよ。その左手はもう使いこなせているんでしょう?」
 草薙によって切り落とされ、新しく付け替えられた機械の腕は、今ではすっかりサイトーの身体の一部だ。
「それに…女の身体に触ったことがないなんて言わせないわよ?」
「言うか」
 さすがにちょっとムッとして、少々乱暴ともとれる力で草薙の足首を掴んだ。



 少々時間がかかったものの、何とかすべての爪にペディキュアを施し終えると、草薙はサイトーの膝の上から足を下ろした。
 そばに置いてあったミュールに爪先を通す。
「悪くないわね。ありがとう、サイトー」
「あぁ」
 素直に礼を言われて、サイトーは照れくさくなり横を向いた。
「サイトー」
「何だ?」
「手を貸して」
「まだ何かするのか?」
「そうじゃないわ。右手を出しなさい」
 言われたとおりに右手を差し出すと、草薙はその手を取った。
「………おい!」
 高出力の義体の力で抑え、人差し指の爪に素早く朱を塗る。
「こうやって塗るものよ。覚えておきなさい」
 草薙は小瓶をその手に握らせると、優雅な足取りで部屋を出て行った。
 その後姿を見送っていたサイトーは、赤い爪の色にやっと我を取り戻した。
「………結局、自分でやれるんじゃねぇか………」
 憮然とした呟きが、他に誰もいない部屋にぽつりと落ちた。



Fin



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