疑似記憶の恋
「………ん」
サイトーが目を覚ますと朝はまだ明けきっておらず、部屋は青い光に満たされていた。
時計に目をやると時刻は4時を少し過ぎていた。
隣では、パズがサイトーに背を向けて眠っている。パズを起こさないように、サイトーはそっとベッドを抜け出した。
温かな湯を頭から浴びる。
腰の辺りを中心としてまるで鉛が詰まったかのように重かった身体に血流が巡り始め、サイトーはほっと息を吐き出した。
パズとこの関係になってから随分と経ち、サイトーの身体はパズを受け入れることに慣れてきた。しかし、情事の後の身体の重さにはいまだに慣れない。
ボディソープを手にとって、胸に擦りつける。
昨夜もパズに誘われて、サイトーはパズと寝た。執拗に責めたてられて、最後は意識を失っていた。最近はいつもそうだ。最後まで意識を保てていたことは殆どない。どんなに制止してもパズは聞かず、むしろサイトーを追い詰めることを愉しんでいるようだ。
そして目覚めると身体は綺麗に拭き清められ、何事もなかったかのようにパズは隣で眠っている。
そう。何事もなかったかのように、だ。
サイトーの身体に残るのは情事の後の気だるさくらいで、キスマーク一つすらも生身の肌についていない。ゆっくり眠って、シャワーで身体を洗い流してしまえば、その気だるささえも消えてしまう。
まるで疑似記憶をかまされたような感覚。
「…ちっ」
サイトーは泡を乱暴に洗い流すと、シャワーを止めてバスルームを出た。
髪を短く刈っているサイトーは、バスタオルで頭を擦れば簡単に乾いてしまう。ソファの背もたれにかけられた服を身につけ、ベッドに近寄った。
「…おい、パズ。俺は帰るぞ」
もぞりと布団の膨らみが動いた。ゆっくりと起き上がりながら、パズの右手はサイドテーブルの煙草を探している。
「…何時だ?」
「4時半だ」
「そうか」
探し当てた煙草を口に咥える。
「…パズ」
「何だ?」
「お前と寝るのをしばらく止めようと思う」
火を点ける手が一瞬だけ止まる。
「………理由は?」
「特にない。距離を置きたい。それだけだ」
「近接戦闘は苦手か、スナイパー?」
「そんなんじゃねぇよ」
長く、長く。煙を吐き出す。
沈黙。
赤い煙草の光。
青い光に沈む人影。
表情はいつものポーカーフェイス。
「………お前がそう望むなら」
「…じゃあな」
サイトーはライフルケースを担ぎ上げると、部屋を出て行った。
パズは煙草の煙の向こうを見つめながら、ドアが閉まる音をじっと聞いていた。
サイトーをパズは『同僚』に戻った。
本部で顔を合わせれば軽い挨拶を交わし、屋上で出会えば並んで煙草を灰と煙に変えた。
もともと口数が多い方ではないので、特に会話を交わすこともない。
与えられた任務を着々とこなし、淡々と時間が過ぎていく。
ある時、パズが巣を作ったセーフハウスに寄ってみると、パズの私物が一つ残らず消えていた。書きかえられたセキュリティ情報も元に戻っている。
パズがいた痕跡は消され、ぽっかりと虚ろだけが空いている。
まるでかまされた疑似記憶を消した後のように。
「………ちっ」
ぽっかりと空いてしまった空間に向けて、サイトーは舌打ちした。
パズが嫌いになった訳ではない。それにもともとパズに惚れた訳でもない。ただパズという男に興味があった。それだけなのだ。
肌を重ねれば少しは分かるかもしれない。パズと寝るようになったのは、そんな動機からだ。
互いを縛るような関係ではなく、気が向いた時に肌を重ねて、いつでも別れられる。パズとはそんな関係だ。
否。そんな関係だったはずなのだ。
なのに、何故か胸がひどく痛む。
廊下ですれ違うパズの身体から香る香水。
サイトーと寝るようになってからも、女と一晩の関係を持つことを止めなかったパズ。
しかし、それはサイトーも同じで、それに口を出すような関係でもなかった。
その関係が途切れた今、その香りがやたらと鼻につく。
「………クソッタレ………!」
正体の見えない苛つきに、サイトーは悪態を吐いた。
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