目を開くと、すっかり日が暮れて、空は夜空に変っていた。新浜市街の灯りと汚れた空気で星はあまり見えない。
エンジンを切り、空調すら動いていない車内は冷え切っている。
サイトーは運転席のシートを元に戻し、プラグを回収すると、ゆっくりと意識して息を吐き出した。
手のひらで顔を拭って、頭を振る。
車内にはサイトー一人。助手席にパズはいない。代わりに車に乗る時に脱いでおいたジャンパーが丸めて置いてある。青いシャツもいつものように胸元を大きくあけて身につけたままだ。
電脳内で何をしようと、現実世界には影響を及ぼさない。パズがサイトーの皮パンツを破かなかったのは、サイトーの矜持に対するパズなり配慮なのだろう。
例えそうだとしても、我ながららしくないことをしてしまった。電脳内とはいえ、公安の捜査官という身の上で公道の路肩に駐車して、同姓の同僚とカーセックスをするなど。
≪それだけ溜まってたんだろ≫
サイトーの心中を見透かしたような電通が送られてきて、サイトーは忌々しげに舌打ちした。
≪お前が煽るからだろうが≫
≪サイトー。お前は一回火が点くと暴走(はし)り出すのが早いな。生身だからセーブが効かんのか?≫
≪んな訳あるか。阿呆≫
心身を統制することは狙撃手には必須項目であり、従軍時代に充分に訓練を受けている。今では骨に染み付いて、意識しなくてもできることだ。
しかし、パズが絡むと途端にそれが崩れてしまう。それにひどく苛立ちながらも受け入れている自分がいる。
パズのゴーストは、今ではサイトーのペースの一部となってしまっている。
≪なぁ。サイトー≫
≪何だ?≫
≪その場所から南東の空は見えるか?≫
≪南東?≫
サイトーはシートから身を乗り出すと、フロントガラス越しに空を見上げた。
≪何かあるのか?≫
≪星が見えないか?≫
≪星?≫
聳え立つビル群の上に光り輝く星が見えた。
≪あぁ。見える≫
≪プロキオン。ベテルギウス。シリウス。『冬の大三角形』だ≫
≪へぇ。あれがそうなのか≫
≪そうか。お前にも見えるのか、あの星が…≫
電通の電子音が心なしかほっとしたような声色に聞こえる。
≪…パズ?≫
≪空は繋がっているんだな。お前と≫
≪あん? 何言ってんだ、お前?≫
≪ネットや電通はジャミングされたら切れちまう。だが、空は…空だけはどこにいても途切れることがない。お前と繋がっていられる≫
サイトーは深く深く溜め息をついた。
≪………………………パズ≫
≪何だ?≫
≪そっちで電脳ウイルスにでも引っかかったのか?≫
≪俺がそんなドジを踏むわけねぇだろう≫
≪じゃあ何か悪いモンでも食ったか?≫
≪ついさっきお前を食ったが?≫
電脳内で繰り広げた自分の痴態を思い出し、サイトーは耳まで赤くなった。
≪どうした? サイトー≫
≪何でもねぇ! お前の方こそどうかしてるぞ≫
≪どこがだ?≫
≪あんなクサい台詞を口にする奴だったか?≫
≪相手による≫
≪ああいう台詞は女にでも言ってやればいい≫
≪女と繋がるのは一度きりだ。そんな台詞を言ってやる暇はない≫
サイトーは頭を抱えた。合成された電子音ごときに、何故ここまでかき乱されるのか。
そこでふとあることに気がついた。
≪………ちょっと待て、パズ≫
≪何だ?≫
≪地球の裏側にいるお前に、何故同じ星が見える?≫
コンコンとサイドグラスを叩く音が聞こえた。映像カーテンを切ってサイドグラスを引き下げると、地球の裏側にいるはずの人物が顔を覗かせた。
「………パズ!」
「よぉ」
「何で、お前…」
「今さっき帰ってきたところだ。イシカワに聞いたら、お前が出たばかりだって言うんで追いかけてきた」
「………尾行したのか?」
「交通管制システムにハッキングかけて、お前の車の位置を割り出しただけだ」
「素直に電通を送ってくればいいだろうが」
「追いつく前にセーフハウスに逃げ込まれるとやっかいだからな。少しばかり時間稼ぎをさせてもらった」
「………あれは俺に車を停めさせるためか?」
わざわざ車を停めて、ヴァーチャルな世界とはいえ、口に出せないようなことをした。
「今夜お前を抱くためだ」
サイトーが口にするのを躊躇う台詞も、パズは簡単に口にする。
「…このコマシが…」
パズは小さく笑うと車の反対側に回りこみ、助手席に乗り込んできた。
「とりあえず飯と酒。あとはお前と寝れるベッドがあればいい」
「勝手なこと言うな。阿呆」
「あれで満足か?」
「………………………」
「俺は不満だ。物足りねぇな」
「…溜まってんのはお前の方じゃねぇか」
「四六時中、課長か少佐と一緒だったんだ。溜まりもする」
「女のとこにでも行けよ」
「あの電脳セックスの後で、俺が女を抱けると本気で思ってるか?」
「………………………」
「お前を煽ったのは確かに俺だが、煽られたのはお互い様だ」
サイトーは諦めたように溜め息をついた。
「お前のせいで溜め息つくのが癖になっちまった」
「そいつは悪かった」
「本気で言ってるか? それ」
「いいや」
「………………飯と酒はお前持ちな」
「あぁ、いいよ」
お前が食えるなら。
パズが呟いた台詞を聞こえない振りをして、サイトーは車を発進させた。
Fin
≪
てる様からのリクエスト/『夜中の海岸線をドライブ中のふたりが車の中で……♪』
リクエストありがとうございました。
P×S menu(R18)へ/
text menuへ/
topへ